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  イングランドのサッカーの名選手を紹介するブログです
      
  
                
   
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1932年、17歳でストーク・シティとプロ契約し1934年9月29日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1939年、第2次世界大戦の影響によりイングランドリーグは中止となり彼のキャリアは一時中断する。7年ぶりにリーグ戦が再開された翌年の1947年ブラックプールへ移籍。 1953年5月3日FAカップ決勝戦ボルトンとの試合ではロスタイムでの大逆転劇勝利の立役者となり、この試合は『マシューズ・ファイナル (Matthews Final) 』と呼ばれFAカップ史上最も劇的な試合とされている。 1961年、当時2部のストーク・シティに戻り、1年後の62-63シーズンには1部昇格を果たす。1965年2月6日のフラム戦を最後に引退した。50歳での出場は最年長記録である。 イングランド史上に残る天才ウイングプレイヤー。『ドリブルの魔術師』の異名を持ち、右アウトサイドで繰り出すフェイントテクニックや華麗なドリブルテクニックは『マシューズ・トリック』と呼ばれた。1956年には最初のバロンドール受賞者となり、1965年にはサッカー選手としては初めてナイトの称号『サー』を授かる。ちなみにバロンドール自体がマシューズを称えるために作られたという話さえある。17歳でプロデビューし引退したのは50歳、この33年間の現役時代、一度も警告を受けた事が無いというまさに「究極のフェアプレイヤー」であると言える。
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サウサンプトンFCのユースチームを経て、1987年にトップチームに昇格。デビュー戦となったアーセナル戦でいきなりハットトリックを達成する活躍を見せた。以降、ゲーリー・リネカー引退後のエースストライカーとしてファンの期待を集め、イングランド代表にも招集。1992年2月19日のフランス戦で代表デビューを果たす。同年プレミアリーグに昇格したばかりのブラックバーン・ローヴァーズへ移籍すると、1994-95シーズンにクラブを優勝に導くとともに自身も得点王に輝き、このシーズンでリーグ通算100ゴールを達成している。 その後活躍が認められ、ビッグクラブからのオファーが相次いだ(マンチェスターには家まで買っていたという)が、故郷であるニューカッスル・ユナイテッドでプレーすることを決意。自らが尊敬する元代表フォワード、ケビン・キーガンが監督を務めていたことも後押しとなった。ニューカッスル移籍後も順調に活躍し、3年連続プレミアリーグ得点王の快挙を達成した。1996年に地元開催となったEURO1996では、チームはベスト4に終わったものの得点王に輝いてた。 2002年、プレミアリーグ創設10周年を記念して国内最優秀選手に選出。また2004年には、国際サッカー連盟(FIFA)創設100周年記念式典でペレが選出した、“偉大なサッカー選手100人” 「FIFA 100」のひとりに選ばれている。    
  
   
   
      
  
                
   
弱冠16歳でイングランドFAプレミアリーグ、エヴァートンFCからデビュー。その当時、プレミアリーグ無敗記録を更新中だったアーセナルとの対戦で、プレミアリーグ初得点を挙げてプレミアリーグ史上最年少得点記録を更新(そのすぐあとに当時リーズ・ユナイテッドのジェームス・ミルナー(現ニューカッスル・ユナイテッド)に最年少得点記録を更新される)。さらにチームはその試合に勝利してアーセナルの無敗記録(当時)をストップさせたことで、一躍注目を集める。 2004年のEURO2004では4得点を挙げ、イングランドのベスト8入りに貢献したが、同大会で右足を骨折。2004年夏の移籍市場終了直前に、エヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。これにより、一部のエヴァートンファンの怒りを買ってしまったが、怪我から回復したルーニーは、2003-2004シーズンから再び無敗記録を更新中だったアーセナルとの試合で自らも得点を挙げてリーグ無敗記録を49試合でストップさせた。 ドイツW杯直前の2006年4月29日、対チェルシー戦で右足の甲を骨折。一時はワールドカップへの出場が絶望視されたが驚異的な回復をみせ、グループリーグ第2戦の対トリニダード・トバゴ戦の後半から途中出場した。準々決勝の対ポルトガル戦では、試合中にリカルド・カルヴァーリョの股間を踏んだとしてレッドカードを受け退場処分になった。 マンチェスター・ユナイテッドに加入してからは背番号は8を付けていたが、2007-2008シーズンからは10番を背負うことになった。2007-2008シーズンの初戦(対レディングFC)で再び骨折した。    
  
   
        
  
  
       
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