1995年にウエストハム・ユナイテッドでキャリアをスタート。その後スウォンジー・シティにレンタル移籍する。復帰後はあまり活躍できずにいたが徐々に頭角を現していき、1998-99シーズンは全試合に出場する。そして1999年イングランド代表にも招集され着実に成長していく。しかし、ウエストハム・ユナイテッドでは数シーズンに渡って経験を積むが、伯父のハリー・レドナップが監督、父親のフランク・ランパード・シニアがコーチであったために、調子が悪いときには批判のターゲットとなっていた。ファンから愛されず、またレドナップ、フランク・シニアが不明確な理由でクラブから解雇されてしまい、自身の環境転換の為に2001年夏に1100万ポンド(約24億円)でチェルシーへ移籍する。移籍後は、センターハーフとしてすぐにレギュラーを獲得。チームの中心選手として活躍する。
モウリーニョ監督の「国内選手にチームを引っ張ってほしい」との方針から、チェルシーでは副キャプテンを務める。2006-07シーズンでは故障がちなジョン・テリーに代わって、多くの試合でキャプテンマークを巻いている。
チームメイトのウェイン・ブリッジが保持していたプレミアリーグの連続試合出場記録を更新、2005年12月28日マンチェスター・シティ戦でウィルス性疾患のため遂に欠場するまで、足掛け4年・164試合連続出場という大記録を樹立した。この期間、怪我をしないだけでなく、ミッドフィールダーという消耗の激しいポジションで、さらに累積警告による出場停止もないことから神懸り的な記録である。
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