1992年にトットナムに入団。次第に頭角を表し始め、イングランド代表にも招集。1996年5月18日のハンガリー戦で代表デビューを果たす。その後1998年のフランスW杯では守備の要として活躍した。
2001年、ノースロンドンのライバル・トットナムからアーセナルへ移籍し、議論を呼んだ。2002年の日韓W杯、2004年のEURO2004でも活躍を見せた。
ポーツマスではレギュラーのセンターバックとして大活躍し、ポーツマス躍進の原動力となった。
しかしここ数年は怪我が多く、フル出場できないでいる。さらに2005年末には試合で大きなミスをし自信を喪失、数日行方不明の後練習に復帰したものの悪夢を振り払うことができず、引退説がまことしやかにさわがれていたが、2006年に入ってから本来の調子を取り戻し、UEFAチャンピオンズリーグの決勝戦では先制点を挙げたが、シーズン終了後に契約満了でアーセナルを退団した。その後ポーツマスと2年契約を結んだ。しかし、W杯ドイツ大会ではジョン・テリー、リオ・ファーディナンドの控えに甘んじ、出場機会はスウェーデン戦での交代出場による1試合のみにとどまっている。
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